平成11年3月、51歳の時に脳出血を発症し、左片麻痺となりました。
51歳という年齢は、仕事に関しては脂が乗り切っていた時期で、同時に自分の体力と健康に関して過信していました。40歳代の中ごろ過ぎから高血圧になって医者からは注意されていて鼻血が出るなどの脳出血の前兆ということがあったにも拘わらず、煙草は勿論吸っていて、一日三箱のチェーンスモーカーでありましたし、典型的に仕事が主体の生活でした。営業と企画職に就いていたため忙しいのは当たり前だし海外企業との交渉ごとも多く、出張中は勿論のこと国内でも仕事が遅くに終わってから皆と飲みに繰り出すことなどは日常茶飯事でした。また、休日はオートバイに乗ってテニスに行き、家にはただただ寝に帰るだけに近い状態でした。
発症したのは、会社の喫煙室で朝の一服を終えた後、9時過ぎに肘掛のある椅子に座っているときでした。一瞬寒気がしたような感じで左手が突如バタンと落ちたときに、状況が全く分からず椅子に座っていることができなくなって左側から床にゴロンと落ちたと言うわけです。その一週間前は中国の片田舎へ出張をしていたし、前日はオートバイに乗ってテニスに行っていたわけで、もしそのような時に発症していたら処置の遅れとか大事故になって今の私はなかったかと思います。会社の方には迷惑を掛けましたが、倒れた場所が通勤途上でもなく会社だったので運が良かったと思います。
障がいの程度は「左上肢2級・左下肢4級の2級1種」で、下肢はSLB装具が必須です。左上肢は障がい程度2級なのでゴルフクラブを握ることなど出来ません。約4ヶ月間の七沢病院脳血管センターでのリハビリ後、副腎皮質腫瘍の摘出術を千葉の病院で受けて、8ヶ月間会社を休んだ後に職場復帰しました。
七沢病院脳血管センターで出会った無類のゴルフ好きと山登り好きの2人の同時期の入院患者のおかげです。
2人ともそれぞれ「退院したら絶対にゴルフをやるぞ!山登るぞ!一緒にやろうよ!」と言っていました。その頃は全員車椅子からは抜け出せない状態でしたので、私は「そうだね、そうしたいね」と答えましたが、心の中では「こんな体になってしまってはできないんじゃないかな」と思っていました。当時リハビリのゴールとして、「歩けるようになりたい」「職場復帰したい」と思っていましたが、退院後2年ほど経過してそのゴールが達成された後は自然と「ゴルフ」や「山登り」へと目が向きました。
ゴルフ好きの片麻痺の友人の言葉を思い出し、以前使っていたクラブを持ってなんどかゴルフ練習場へ一人で行きましたが、空振り・シャンクなどばかりで思うように球が飛んでくれません。もともとゴルフがそれほど好きでなく営業上のお付き合い程度でしかやっていなかったこともあり、練習場の他の人の目も気になって「やっぱり無理なんだ…」と諦めていた時に、再び彼と会い、彼から片麻痺ならではの打ち方やクラブの選び方を教わりました。
女性用の中古クラブと右手用の手袋を購入して彼が待っている練習場に行き、緊張する左麻痺手がスウイングスイングするクラブに当らないように極端なオープンスタンスにして、右足体重でボールを打ちました。すると7〜80ヤード程度ではありましたが思っていた以上にボールが飛んで、ゴルフならばこの方法でなんとかできそうだ!愉しみながら歩く練習にもなるだろうし、やってみようかぁ!という気持ちになりました。その後2人で練習場に通うようになって、平成13年夏に初めてショートコースに出ました。彼とは、JHGAに所属している石塚博光さんです。
その後は、何人かの身体障がい者と一緒に障がい者のゴルフ団体に所属してプレーをしたり、一般のゴルフ場のメンバーになってゴルフをしています。独りだったら今日まで続かなかったと思います。
また、健常時には「山は見るもので登るものではない」と言っていた私ですが、入院中に知り合った片麻痺のひげおやじの影響もあって、ゴルフを開始したのと同じ時期から、ハイキングもリハビリには良いのではと低山登りを開始して、そのゴールは富士山を目指すことになりました。
友人の幅が広がったこと、また、ゴルフは障がいを持っていても時間をかければ健常者とも競技を楽しむことが出来るルポースであることです。
更に身体的なことでは、手の動きがなんともならないことは仕方がないことですが、左側の麻痺足は愉しみながらゴルフを継続してきたことで相当強くなったと思います。
ゴルフの面白さは、障がいをおった負った体や能力と向き合い、どこまでプレーできるのか自分自身で見極められる所です。それと、道具を使うスポーツなので、その道具の使い方を工夫することやHDCP制度などから健常者ともプレーが出来るようになりますので、我々片麻痺向けのスポーツだと思っています。これからも、体が続く限り「片麻痺ゴルフ」を続けてゆきたいと思います。
「片麻痺ゴルフ」とは、文字通り「片手でするゴルフ」です。
テニスでいうところのフォアハンド打ちがバックハンド打ちかによって、右利きか左利きのクラブを選びます。私の場合は右利きクラブでのフォアハンド打ちですが、パッティングだけは左用のパターを使っています。また、「片麻痺ゴルフ」の最初は、体力も落ちているので軽い女性用のクラブを使いました。自分の体にフィットするクラブを見つけるのが大変なのですが、私の場合は右打ちクラブなので、中古モノを含め市場に多く出回っているので、使いやすいものを見つけることができました。
それと、私は短下肢(SLB)装具を使っていますが、これは重いですがしっかりと麻痺足を支えてくれるので必須道具です。
片麻痺でスポーツをする場合は、健常時に比べて筋肉がついて行くのもゴルフの技量が向上するのも、健常時に比較すると数倍以上の時間と手間がかかります。
ですので、健常時とは比較をせずに「片麻痺ゴルフ」を新たに取得するのだと考えて、あせらずじっくりと継続する必要があります。
ゴルフを通じて知り合った障がい者と共に参加しました。
これからも、障がい者も健常者も一緒にゴルフを一生のスポートとして楽しめるような活動をお手伝いしてゆくつもりです。
「片麻痺ゴルフ」を時間をかけて追求してゆきたいです。
倶楽部ハンディキャップを、出来れば18位まで持って行きたいと思っています。多分、この辺りが「片麻痺ゴルフ」の最高点ではないかと思っていますし、現状のHDCPは27から23の範囲ですのでまだまだ先が長いです。
それと、昨年お手伝いした夢のみずうみ村主催の「第一回片麻痺ゴルフコンペ」が継続し発展できるようにお手伝いをしてゆきます。このコンペが他の大会と違うところは、「ゴルフ初挑戦者も参加できる」という点です。
ゴルフ練習場は障がい者であっても行けば使えますが、コースの場合は、ゴルフ場側の理解が必要になります。やはり一般客より廻るのが遅いですし、カートをフェアウェー内にまで入れられるとか等が出来れば望ましいです。色々な面で協力を得られればと思います。
この原稿は『ザ・挑戦 II ゴルフと出会って人生が変わった』(NPO法人 ジャパン・ハンディキャップゴルフ協会、2012 発行)より許可を得て転載しております。