私は1969年2歳の時に実家が営む精肉業の肉を切る機械に誤って右手を入れてしまい、右手首から先を失う事故にあいました。障がいの程度は「右上肢3級・2級1種」です。
2歳という年齢でしたので、物心がついた時から右手が無いという感覚でした。
小学生の時、父と兄がゴルフをしていたため家にはゴルフクラブが置いてありました。そのゴルフクラブを振るようになったのがゴルフとの出会いでした。
学生時代は、片手でしたが野球部に在籍し、野球を一生懸命していたためゴルフと離れていましたが、社会人となってから本格的にゴルフを始めました。
ゴルフを本格的に始めてからは、練習場に頻繁に通いましたが、思い通りのボールを打つことは出来ませんでしたし、私の周りに片手でゴルフをしている人がいなかったため、誰かに聞くこともできませんでした。
野球経験がありゴルフクラブを速く振ることが出来たため、思い通りのボールを打つために雑誌等を読みながらゴルフの基本から勉強しました。
年齢や男女の区別もなくゴルフを通して多くの友人が出来たことです。また、プライベートのゴルフの外に競技ゴルフに参加するようになりました。競技ゴルフでは基本的に同伴競技者や競技参加者と戦っているのではなく、コースと戦っているため、同伴競技者の中に障がい者が居ても気にする人がいないことも競技ゴルフの魅力でした。
現在HDCPが1となりメンバ0コースのクラブチャンピオンになれたこともあり、友人達がゴルフプレー中の私を障がい者と見なくなったこともゴルフの大きな魅力でした。
片手であっても残された左手を鍛えたため、ゴルフクラブのヘッドスピードを速く振ることができるようになりました。しかし、ヘッドスピードにクラブを合わせると重いクラブを選ぶことになり、左手に掛かる負担が大きくなってしまいました。
左手の負担を軽減するために、強くて軽いクラブを選ぶために苦労しています。
飛距離を出すためにドローボールを打つことを選択しましたが、片手でドローボールを打つために通常アドレスよりかなりの変化をつけました。私と初めてラウンドをした人達には、変わったアドレスをする人なんだとよく言われます。
また、義手についても苦労をしています。
同じ障がいを持っていても義手を使う人と使わない人とに分かれますが、私は日常生活から義手を使用しているため、ゴルフの時も義手を使用しています。ゴルフをしていると義手が壊れることがありますが、新しい義手を制作製作しても以前の義手と同じものは出来ません。以前の義手と比べると、大きさ、重さ、柔らかさが微妙に異なります。その、微妙な変化により、義手を交換するたびにゴルフスウィングを変えなければいけなくなりますが、適用出来るようになるまで相当な期間を要することになります。
障がい者の方達にも、障がい者であっても自分のゴルフのやり方を見つければ健常者と同じようにプレーすることが出来るということを伝えたくて参加しました。また、ゴルフ場や健常者の人が、障がい者ゴルファーに対して違和感を持たずにゴルフ場の提供や一緒にプレーをしてもらえるように理解していただくため、障がい者の中にも健常者と同等のプレーをする人がいることを多くの人に伝えていくことが協会への協力と考えています。
現在、メンバーコースのクラブチャンピオンを3年連続で獲得することが出来ましたので(2012年当時)、この成績を続けられるように努力することを忘れないでいこうと思います。
また、県のアマチュア大会で準優勝することが出来ましたが、優勝にあと一歩でした。一般の大会でも優勝するために日々練習したいと思います。
近年、競技ゴルフとプライベートゴルフクラブの色分けが鮮明になってきました。
溝規制の適用品を使うとすれば、スチールシャフトを選択しなければなりません。もちろん、全てがそうではありませんが、圧倒的な数の少なさにショックになることもあります。
身体的に劣っていても、障がい者ゴルファーが必要とする性能のゴルフクラブがあると嬉しいです。
この原稿は『ザ・挑戦 II ゴルフと出会って人生が変わった』(NPO法人 ジャパン・ハンディキャップゴルフ協会、2012 発行)より許可を得て転載しております。